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旧天城峠から三蓋山
旧天城峠から三蓋山   伊豆の天城峠は何かと有名であるが大変漠然とした呼び方である。天城峠とは何処を言っているのしょうか。通常は旧天城トンネル(明治38年開通)を言っていると思う。今回は湯ヶ島温泉側の新トンネルからすぐ上の旧トンネルを経て稜線に出、殆どアップダウンがない伊豆山稜線歩道を1時間歩き二本杉峠(旧天城峠)にいき、ここから滑沢峠を経て三蓋山を往復した。三蓋山の稜線にはブナ、ヒメシャラが多く、今は全て葉は落ちて無いので見通しが大変良いが、夏は全て葉で覆われると今とは違った景色になり素晴らしいと思う。旧天城峠は... ...続きを見る

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2017/03/20 07:24
小笠山の自然林を歩く
小笠山の自然林を歩く  小笠山のハイキングコースは小笠山頂上から四方に延びておる。小笠山頂上(246M)から南側、西側方面のコースを歩くが、植林された杉、檜等の木は見当たらない。小笠山は江戸時代は幕府直轄の天領であったため、現在もほとんどほとんど国有林で民間の手が入っていなく、自然のままの木が残されている。ハイキングコースは自然林のウバメガシ、アカガシ等の木が低い里山で見られることは珍しいといわれている自然林の中を歩く。地形も100万前に大井川で堆積したものが隆起して小笠山が出来たため、ハイキングコースは隆起した小石... ...続きを見る

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2017/03/13 17:14
豊田佐吉生家
豊田佐吉生家   静岡県湖西市には豊田佐吉記念館がある。記念館は通常の民家の屋敷の門扉に豊田佐吉記念館との木の看板が掛かっておるのみである。看板を見落とすと通常の民家である。通常の民家は豊田家が生家を本籍としているので豊田章一郎さんの私有物で、公的な物ではないと思う。  佐吉記念館は敷地内の一棟が佐吉が取り組んだ織機の変遷等が展示してあり、記念館らしい建物であった。大きな母屋2棟は非公開であった。敷地は背後に展望の良い山を抱えており大変広い敷地だとおもった。生家方面の案内で生家に行くと山間に生家跡と一段下に... ...続きを見る

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2017/03/10 14:03
直虎時代の井伊家臣の墓
直虎時代の井伊家臣の墓  女城主井伊直虎の大河ドラマからも、井伊家を支えた家臣の名前がでてくる。桶狭間の戦いは今川方の敗北で終わり、これからは井伊家の領主、親しんだ家臣の戦死等が起こり、彼らが何処に葬られているかにも興味がわいてくる。 その点井伊家の菩提寺である龍譚寺には彼ら家臣の墓が見られる。井伊家の領主、正妻の墓は一角が区切られ、井伊家家臣の墓とは歴然と区別されておる。墓地には現在は一般の方の墓石もあり、戦国時代の墓石(五輪の塔)と共存していて、囲まれた井伊家の墓地と違い、すぐ側までいけ歴史を感じる墓地である。 ... ...続きを見る

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2017/03/06 08:47
高蔵寺周辺散策
高蔵寺周辺散策  名古屋高蔵寺周辺を散策する。名古屋市の一番高い東谷山、梺のフルーツパークを散策する。東谷山、山頂周辺には、尾張戸神社古墳をはじめ幾多の古墳があり古墳が幾つか集まり、東山古墳群、上志段味古墳群と言われている。裾のには名古屋市のフルーツパークがあり、一汗出す散策には大変良い環境である。散策で感じたことは地下水があちこちでしみ出でおり、結果としてため池があちこちに有ることである。 ...続きを見る

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2017/02/27 08:31
井伊直虎、徳川家康遠江進出時の堀川城悲劇をどう思ったか?
井伊直虎、徳川家康遠江進出時の堀川城悲劇をどう思ったか? 徳川家康は1568年(永禄11年)井伊谷3人集の案内で遠江に進出し、刑部城、堀江城を落とし、引馬城、掛川城を攻撃した。堀江城攻撃で井伊谷3人集の1人鈴木重時は討ち死した。一旦岡崎にもどり翌年再度遠江に出陣し、反家康派の城を攻撃した。気賀の堀江城は真っ先に攻撃された。井伊家も当然出陣したと思う、狭い地域の隣の村が徹底的に攻撃され、兵だけではなく住民まで首を取られた。この戦いは気賀の住民3,000人の内2,000人が首を取られた大変な悲劇である。家康が若かったとはいえ、生涯最大な残酷の戦いだったと思... ...続きを見る

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2017/02/19 07:45
井伊直虎の祝田
井伊直虎の祝田 浜松市北区細江町祝田の地名は大河ドラマ井伊直虎でもなじみが深い土地である。有名な井伊直虎の花押印が押されている古文書が保管されている蜂前神社も祝田にある。三方原台地から都田川に下った付近が祝田であり、特に地形的な事は気にならなかった。  しかし、井伊直虎関係の文庫等何冊か読むと祝田の地形的な特徴が浮かび上がってくる。祝田から気賀の陣座ヶ谷古墳方面に掛けて、三方原台地に谷が幾つも形成され、地下水が豊富に湧き出ている事である。これらの地形的な特徴は祝田が良き土地として貴重だったことと思う。1568... ...続きを見る

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2017/02/12 17:43
井伊直親、掛川の襲撃場所の謎
井伊直親、掛川の襲撃場所の謎   井伊直親が小野但馬守道好の讒言の申し開きのため駿府に出向く途中、掛川城主の朝比奈氏によって襲撃され18人の家臣と共に殺された。今回は今川の家臣の朝比奈氏の掛川古城(今の掛川城の北東600mの天王山に在った)と、襲撃されたといわれる場所掛川市十九首町の十九首塚を訪ねた。掛川古城は現在は天王山龍華院になっていて、昔の城跡の雰囲気を残すのみである。しかし全体に小高い山になっており条件の良い城だったと思われる。1km西の旧東海道沿いにある十九首町の十九首塚を訪ねる。平成14年に十九首塚は現在地に移動... ...続きを見る

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2017/01/29 17:32
本宮山国見岩コース下りは紋屋に
本宮山国見岩コース下りは紋屋に 1月の後半は毎年三遠トレキングクラブの総会、懇親会が1泊で持たれる。本年も奥三河の湯谷温泉で開かれた。前日と翌日は宿泊地近くで山行を行っているが、ここでは翌日訪れた本宮山に国見岩コースで登り、下りは紋屋にくだった山行を報告する。国見岩コースは沢沿いに2〜3回徒渉をして登り、最後は鎖場の岩稜地帯の急登を登るコースである。昼食後参道からくだり、途中から天狗岩を得て紋屋に下る予定だったが高度200M付近で道を間違えて本宮パークCCの東側に下ってしまった。よく行く身近な山でもメインな登山道以外は道... ...続きを見る

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2017/01/23 18:37
井伊直虎NHKドラマに映る砦
井伊直虎NHKドラマに映る砦 NHK大河ドラマの初回が先日放映された。多くの話題がネット等で流れている。直虎の地元の1人として画面に出てくる背景等の風景にも興味を持ち見ている。最初に流れてくる砦が、どこかで見た砦の風景に似ているので、写真に収めたくて現地に行ったが、私と同じような方が2組おり、あそこに出てくる風景はこちらから撮ったのではないか等、ドラマの話題でひと時花が咲いた。                                井楼櫓 ...続きを見る

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2017/01/12 15:29
井伊直政2万石加増の高天神城戦と徳川家康
井伊直政2万石加増の高天神城戦と徳川家康 武田勝頼1575年5月に設樂原の戦いで徳川・織田に大敗し、多くの有能な家臣を無くした。しかし2年後1577年12月には高天~城に入って兵の激励、兵糧の搬入を行っている。設楽原で大敗後、自分が築城した諏訪原城は1575年8月に徳川に奪われている。そのような状況下での高天~城への訪問は勝頼の強い思いが見られる。しかし徳川は勝頼の動きを12分に把握して対応しているのが、ブログ「かさぶた日録」に掲載させている「遠州高天~記」の読み解き文を読むとわかる。この時代織田信長は未だ健在で天下統一を図っていたため... ...続きを見る

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2017/01/02 14:22
秋葉山元旦表参道登山
秋葉山元旦表参道登山  秋葉山の表参道は今年も正月元旦は多くの登山者数十名で賑わった。広い駐車場は(30台位は駐車可)車で一杯になっていた。日の出の時間に送電線がゴールドになる素晴らしい朝の風景を見ることが出来たのでアップする。                           送電線の日の出の風景 ...続きを見る

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2017/01/01 15:04
鳳来湖から乳岩コースの上臈岩の朝
鳳来湖から乳岩コースの上臈岩の朝 先日このコースを歩き朝の景色を見たいと思い今日再度訪れた。昨日は雨で、今日は雨上がりで快晴、風も強く空気も澄んでいて大変気持ちの良い風景が見られ、朝のすがすがしい山歩きができた。                    乳岩コースから見た朝の上臈岩、宇連山方面 ...続きを見る

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2016/12/28 16:23
井伊直政初陣の長篠城と5砦
井伊直政初陣の長篠城と5砦 長篠設樂ヶ原の徳川・織田軍と武田軍の戦いは大変有名です。この戦いが徳川の奇襲で始まり武田軍は徳川・織田の術中にはまり大敗した。この戦いで井伊直政は家康より300石加増された。合戦の火ぶたの舞台になった5つの砦を訪ねた。徳川の奇襲は徳川方の長城城を取り巻く武田の5つの砦を、酒井忠次の一隊が南から船着山を迂回して、尾根沿いに砦の背後に侵入し5月21日朝、奇襲し戦いが始まった。5つの砦は、各砦間の直線距離は数百M、砦の頂上からは長篠城側がよく見え、中山砦、鳶ヶ巣砦からは長篠城内は丸見えの位置にある。武... ...続きを見る

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2016/12/27 08:38
宇連ダムから乳岩コースからの上臈岩
宇連ダムから乳岩コースからの上臈岩  宇連ダムからダム湖の正面には上臈岩が見える。宇連ダムから乳岩へのハイキングコースは急登を登り、岩尾根を経て乳岩に至るハイキングコースである。この辺一帯は何十万年前にマグマが海底にでて固まり、全体がj地上に出た地形であるためほコースのあちこちに岩尾根があり岩尾根からは眼下の鳳来湖、対岸の上臈岩の遠望が楽しめる。 ...続きを見る

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2016/12/24 16:14
明神山栃木沢の直登ルートと北西尾根馬の背
明神山栃木沢の直登ルートと北西尾根馬の背  久しぶりに山に足を運んだ、若い山好きな方と久しぶりに栃木沢より直登尾根で明神山に登り、途中からスズカタ林道で北西尾根の馬の背に行ってきた。栃木沢直登尾根に久しぶりに行って驚いたのは、小さいながら立派な標識が随所に見られたことである。3〜4年前までは全く見られなかった。北西尾根の馬の背は長く、全体が海底火山が地上に出た地形で割れ目等はなく大変綺麗な馬の背だと思う。 ...続きを見る

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2016/12/18 16:06
井伊谷3人衆の鈴木重時の白倉城
井伊谷3人衆の鈴木重時の白倉城 三河の上吉田の白倉城は足助鈴木氏の流れを汲む鈴木長門守重信が1532年遠州掛川から移り築いたと云われる。井伊直盛に仕え、重時、重好に続く。重時は1568年家康が遠江侵攻時に下吉田に柿本城を築き移った。白倉城を訪ねて感じることは、何故人里離れた山の中に城を築いたか不思議である。何かゆわれがありそうです。 一般的には山間地で城を築くのは地元の豪族が築くが、鈴木重信は外から移住してきた人だったのが、原因と考えてしまう。城跡を訪ねると、訪ねる人も殆どないようで踏み跡も少ない。杉林の中に城跡の石垣、土塁、... ...続きを見る

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2016/12/17 05:53
井伊谷3人衆と徳川家康
井伊谷3人衆と徳川家康 今川義元が桶狭間で織田信長に負けてからは、遠江も今川の勢力は衰退し、三河の徳川、甲斐の武田が覇権を争い、三河の徳川が遠江を支配するようになった。徳川が遠江に侵攻する時は井伊家は直虎の時代に入った。案内したのが世に言う「井伊谷3人衆」で、野田城の菅沼定盈一族の都田の菅沼忠久、宇利城の近藤康宗、柿本城の鈴木重時である。今回はこの3人衆を家康に紹介したと考えれれている野田城主の菅沼定盈の野田城、近藤康宗の宇利城、鈴木重時の本城だった白倉城、柿本城の城跡がある山と位置関係の図を紹介する。各々の城には攻防... ...続きを見る

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2016/12/12 08:51
井伊直虎のゆかりの地訪ねて 直親墓4ヶ所の謎
井伊直虎のゆかりの地訪ねて 直親墓4ヶ所の謎  井伊直虎ゆかりの地に載っている史蹟で井伊直親の墓が4か所の史蹟にまつられている。井伊家菩提寺の龍譚寺、都田川の畔、渋川の現在の東光院墓地、以前の東光院の渋川井伊家墓地の4ヶ所ある。 現地を訪れた時、渋川井伊家の墓地(旧東光院)にあることが大変の驚きであった。渋川井伊家の墓地には1,300〜1,500年代にかけての主な人物が8人がまつられている。その中で右から5番目に井伊家の当主だった直親の名がある(現在の東光院の直親の墓は寺の合併時にここから移設された)。何故井伊家の当主の墓が東光院の墓地に... ...続きを見る

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2016/12/02 12:30
井伊直親がお世話になった東光院は? 渋川井伊家は?
井伊直親がお世話になった東光院は? 渋川井伊家は?  井伊直虎ゆかりの地に、渋川の東光院と渋川井伊家の墓地が載っている。東光院は直親(亀之丞)が信州に逃れるとき、帰国時にも一時滞在した寺である。渋川井伊家の墓地は渋川の街の道路脇にあり近くには寺はない。この疑問は東光院の「薬師堂と仏像の由来」の掲示板で分かりました。明治9年渋川小学校が建てられる時、渋川井伊家の墓地がある東光院の敷地が候補になり、東光院は現在の東光院の場所の西光院と合併し現在の東光院になったことが記されている。当然渋川井伊家の墓地が昔の東光院の近くの現在の場所にあるのは当然で理解で... ...続きを見る

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2016/12/01 09:58

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